県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 16
バトン 今につながった
日本中の人に復興へと歩む福島の現状を発信したかった。
福島の子どもたちには国内最高峰の戦いを見て元気になってほしかった。
2014(平成26)年6月に福島市のとうほう・みんなのスタジアムで開かれた陸上の日本選手権。東日本大震災から3年後に実現した本県初開催には特別な意味があり、福島陸協の会長だった私は誘致に全力を注いだ。
東京電力福島第1原発事故の影響で本県への負のイメージが広がった。福島陸協はまずスポーツ用品メーカーに協力を要請し、着の身着のまま避難を余儀なくされた相双地区の子どもたちにスパイクを用意するところから活動を開始。盟友佐藤勇理事長と熟慮の末、復興の起爆剤をつくろうとの結論に至った。
「放射線量は時間の経過とともに低減する」と専門家の助言があり、大会誘致を決断。日本陸連から競技場への大型ビジョン設置などの条件付きで開催が承認された。県の財政支援も受け、一つずつ課題をクリアしていった。
大会期間中は3日間とも雨であったが、県内外から約3万6千人が訪れた。「雨でもこれだけの人が見に来てくれて気合が入ります」。男子ハンマー投げで前人未到の20連覇を成し遂げ、現在はスポーツ庁長官を務める室伏広治さんの言葉が身に染みた。私は競技場全体を見渡し、観客の皆さんのありがたさに涙が流れた。地元競技役員がてきぱきと審判をする姿には誇り高い思いだった。
唯一の心残りは男子100メートル決勝だ。日本人初の9秒台が期待された桐生祥秀選手が、土砂降りの悪条件で新記録を達成できなかった。私が大会前、競技場周辺のごみ拾いを終え、決勝が行われる夕方の時間帯にスタート台に立つと、ゴールに向かって爽やかな風が吹いていただけに、残念の極みだった。
それでも「福島で走れて良かった」「元気を届けてくれてありがとう」という声が心に響いた。あの時、会場に招待した子どもたちの中から素晴らしい選手が生まれ、バトンは確かにつながっている。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年9月1日付)

