県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 10
「寝言」は現実になった
華々しく幕を開けたふくしま国体の秋季大会。冬季、夏季に続き、全ての大会をひとつの県で開催する史上6度目の「完全国体」で、県民の盛り上がりはものすごかった。
その舞台裏で黒子役の強化対策班は、本県選手団がベストパフォーマンスを発揮できるよう神経をとがらせた。本番で勝てなければ、これまでの苦労は何もならない。抜かりがないよう最後まで詰めの準備に集中した。
選手は完璧な仕上がりだった。本県は計21競技を制し、いまだ破られていない史上最高の4140.75点で男女総合優勝(天皇杯獲得)を飾った。女子総合優勝(皇后杯獲得)も1627.25点で史上2番目の高得点だった。
それでも、数々の大舞台を経験してきた超一流の選手から異口同音に聞かれたのは「国体は呪縛」という意外な言葉だった。一選手として出場する日本選手権などとは違い、国体は採用してくれた所属先の企業や県民など多くの人たちの期待を背負っている。目に見えないプレッシャーが大きかったという。
私は裏方に徹して県内を駆け回り、まともに試合を見られなかった。最終日の陸上のリレーだけは観戦したくて、原町市(現南相馬市)馬事公苑から車を走らせたが、あづま総合運動公園陸上競技場近くの信号につかまった。そこで耳に入ってきたのは「福島県の優勝です」というアナウンス。結局、感動と興奮に包まれた瞬間には立ち会えなかった。
ふくしま国体では新聞記者からよく取材を受けた。私が圧倒的な勝利を確信して「『史上最高得点』という大きな活字(見出し)はあるか?」と尋ねたら、記者はそこまでの躍進を全く予想していなかったようで「寝言は寝て言ってください」と鼻で笑われた。
ふくしま国体の数年前まで40位台に低迷した本県の圧倒的な優勝を、誰が予想できただろうか。あれから歳月は流れ、鬼籍に入ってしまった仲間もいてさみしさは募るが、共に駆け抜けた日々と感謝の気持ちはいつまでも忘れない。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年8月25日付)