県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 13
井の中の蛙 大海を知る
世の中、上には上がいるー。 高校時代に出場した全国大会でそう思い知らされた。
保原高校陸上部に入部した私は投てき種目に挑戦した。体つきは跳躍の選手だったが、部室で見つけた鎖の付いた鉄球に興味を持ち、自己流でハンマー投げの練習を重ねた。3年生の時は県王者となり、県総合体育大会ではやり投げと三段跳びを含む3冠を達成した。
それでも、井の中の蛙に過ぎなかった。大分県で開催された全国高校総体(インターハイ)は猛者だらけ。男子ハンマー投げは前日本記録保持者の室伏重信が1学年下の日大三島校(静岡)にいた。高校生では身長は180センチを超え、体重も100キロ近い筋骨隆々の肉体。「山伏」を連想させる聞き慣れない名字が頭に残り、ヘラクレスのような他を寄せ付けない圧倒的な強さに衝撃を受けた。
このインターハイでは“地獄”も味わった。福島から普通急行に乗り、上野経由で大分までは22時間。寝台列車ではなく、ボックス席で寝ながら移動し、到着した時には足腰ふらふらで試合どころではなかった。1964年東京五輪に出場した同世代のスーパースター飯島秀雄は東京から飛行機に乗って2時間で来たと競技場で話題になり、「自分はなぜ22時間もかけて来たんだ」と格差を感じた。
インターハイは2年連続で予選落ちに終わった。全国大会での最高成績は、3年生の時に出場した岡山国体のハンマー投げで7位。しかし、当時の入賞は6位までなので、いわゆる「等外1等賞」だ。最後の試技は投げた瞬間、「パチン」と鉄球が周りの金網に接触する音が聞こえた。ファウルにはならなかったものの、記録は52メートル40。金網に触れなければ54メートル台で入賞できたと思うが、そこも含めて単純に実力不足だった。
高校で全国の高いレベルを知り、視野が広がった。そして、卒業後の進路に決めたのは順天堂大の体育学部。保原高校で陸上の世界に導いてくださった恩師の吉田清計先生に憧れ、教員の道を志した。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年8月29日付)