県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 15
一緒に走る教師目指す
大学卒業後、念願の教職に就き、安達高と福島東高で陸上部の顧問を務めた。
当初は無理難題の押し付け指導だったが、年齢を重ねるにつれて、車の助手席に乗り、運転手と一緒の方向を目指すような指導法に変わっていった。学生時代に薫陶を受けた恩師を見習い、私なりの指導法に落とし込んだ。
褒めて伸ばすことも大切にした。先に駄目だしをしたら、生徒も快く聞く耳を持とうとしない。まずは良い部分をたたえ、その上で改善すべき点を伝えるようにしてきた。
両校には陸上部員だけで合わせて300人近くの教え子がいる。安達高では全国高校総体(インターハイ)チャンピオンをはじめ、リレー入賞を含め数人が入賞した。私にとっては、真剣に汗を流した部員全員が宝物だ。
選手の発掘は重要だった。身体能力の高い選手が多い野球部やサッカー部は「人材の宝庫」。迷惑だったかもしれないが、才能が埋もれないよう陸上部にしつこく勧誘した。
福島東高には、1981(昭和56)年から10年間勤務し「嫌われ役」となる生徒指導部長も務めた。近隣高で生徒指導を担当する教員の車が傷つけられるなど学校があれていた時代。福島東高では幸いこうした事案はなかったが、毎日登下校時に校門前に立ち、生活態度に問題がないか目を光らせた。
校則違反を見つけた場合、1週間の「罰」を科した。私と一緒に校庭の草むしりや廊下の清掃だ。生徒からは「げんこつ一発の方が楽です」と本音が漏れたが、奉仕作業を通じてコミュニケーションを取る狙いがあった。相手は高校生。真正面から向き合えば、生徒は罰をうけたことに納得してくれた。
教員時代は卒業する陸上部の生徒一人一人に直筆の絵を描き、メッセージを添えてプレゼントすることを続けた。その頃から約30年後の2014年。私が毎朝のごみ拾いを日課にしていることを知る福島東高の教え子からは、古希祝いとして「金のトング」という粋なお返しをもらった。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年8月31日付)