片平 元体育教諭マイストーリー 6/18

県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78)  6

競技団体の意識変える

 ふくしま国体の競技力向上対策室で痛感したのは競技団体役員の意識の低さだった。
 特に弱い競技ほど情けなかった。彼らは気後れする人なので、全国から人が集まる中央の競技団体の会議に行かない。出席しても、座る場所は出口に近い後方の隅っこ。質問や意見を述べなければ、挨拶することもなく会議終了後に真っ先に帰ってくる。
 何も特別なことを話す必要などなかった。ふくしま国体が数年後に迫っているので、各都道府県の競技団体に準備状況の報告や協力の依頼をするだけでも良かった。「ずうずうしいほど積極的な関東・関西人を見習ってほしい。堂々と発言してください」。一喝したが、それでも直らない。名刺を作って渡しても配らずに残ったまま。引っ込み思案の役員の意識を変えるにはかなり苦心した。
 本県のスポーツ関係者には中央の有名人をありがたがる風潮があり、劣等感を払拭できなかった。そこで意識改革のため、国体のメンタルアドバイザーに委嘱したのが福島大の白石豊先生だった。地元にも素晴らしい人材はいる。白石先生は後に、日本のスポーツ界では知らない人がいないほどのメンタルトレーニングの権威として活躍する。
 荒治療にも出た。40競技団体のうち半分以上の会長や理事長に交代をお願いした。長きにわたりトップに居座り人こそ課題であったと考えたからだ。当然ストレートに「辞めてほしい」とは言えない。神経を使いながら、会長には「最高顧問という立場でご指導いただきたい」と角が立たないようにお願いした。
 強化対策班長を務める私には部下の班員が10人いた。1人当たり4競技を担当し、競技団体が抱える課題を洗い出す。会長や理事長に対する不満の声もチェックし、表を作って1人ずつまな板の上に載せていった。
 班員は本当によく頑張って働いてくれた。大切な県費を使っている限り、妥協はできない。競技団体役員を刷新したところから強化対策は動きだした。 

(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。

(福島民友2022年8月20日付)

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