県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 7
てこ入れ 難題が次々に
「競技施設を新たに整備してほしい」
「海外製の用具でないと勝負にならない」
ふくしま国体に向けた競技団体への対応に追われ、私は強化対策班の部下10人と毎日へとへとになりながら働いた。次から次へと現れる難題。てこ入れは簡単ではなく、時には調整役として競技団体役員と激論を交わした。
水泳連盟は今では考えられないが、競技力が上がらず、国体で0点のことがざらにあった。強化対策を迫っても「競技をやるのはあなた方ではない」と耳を貸そうとはしなかった。
他県はスイミングクラブを有効活用し、強いチームをつくっていたが、本県は連携がうまく取れていなかった。水連側は「スイミングはあくまで営業でやっている」「学校から生徒を連れていく」との言い分だった。
スイミングクラブには素晴らしいコーチがいて、学校の部活動を早めに切り上げて練習時間を確保するよう指導していた。ところが、学校の先生は部活動を重視し、選手がスイミングクラブに行く時間が遅れた。気持ちは分かるが、それでは選手が強くならない。
福島女高(現橘高)の教室を借り、溝を埋めるための会議を設けた。しかし、机を向かい合わせた双方から相手への不満が飛び出した。「選手が伸び伸びと練習するためにはどうすべきなのか!」。私は会議の最後で選手が気持ちよく泳げる環境づくりをお願いし、何とかこの場で手打ちにしてもらった。
馬術も大変だった。かつては「馬術王国」と呼ばれたのに、馬が老齢になって成績が低迷した。「老馬では戦えない」と言われ、1頭1千万円を超える馬を購入した。それでも即効性はなく、なかなか勝てない。ふくしま国体までの期間が短く、今度は「もっと高額で優秀な馬を用意してほしい」と馬術連盟。 私は「知事の馬(公用車)でさえ1千万円もしない」と断ったが、本県馬術界の名手だった連盟副会長の佐藤伝一さんの尽力があり、馬術は本番で天皇杯総合優勝という最高の成績を収めてくれた。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年8月22日付)