県スポーツ協会副会長 片平 俊夫(78) 8
交渉の切り札は会津塗
「あの選手が欲しい」と要望を受ければ、全国を飛び回って獲得のため交渉を試みた。
優勝するには大半の競技が戦力不足。核となる有力選手を県外から勧誘するしかなかった。競技団体や企業チームに欲しい選手をリストアップしてもらい、強化対策班が下調べした。獲得が難しそうな場合は私が直接会って辛抱強く口説き落とした。
成功率は8割ほど。予算は限られていて、当時3700円だった会津塗のオルゴール付き宝石箱など本県の伝統工芸品を手土産に持参する時もあった。私はこれを「玉手箱」と呼んだ。交渉相手の監督の奥さんに送ると、心を引き付けることができたからだ。
交渉は一筋縄ではいかない。五輪に出場した選手の獲得には苦労した。この選手を指導していた高校の監督を金沢市の繁華街・香林坊で説得したが、3軒ほど付き合っても、なかなか返事がもらえない。合計でボトル半分ほどのウイスキーをストレートで飲んだが、私は酔っ払わないで、明け方4時ごろまで付き合った。飲み代はこちら持ち。自宅に送迎するタクシーの車内で「このまま飲み逃げされては困る」と思っていたら「君はなぜ酔わないんだ」と聞かれた。私が「返事をいただけないからです」と伝えると、お酒で調子が良くなっていた監督からついに快諾を得た。
ふくしま国体でスカウトした選手は超一流ばかり。代表的なのはソフトボール女子日本代表のエース小川幸子、バレーボール男子日本代表のアタッカー井上謙、陸上男子三段跳びの日本記録保持者で1988年ソウル五輪に出場した山下訓史の各選手ら。県内の企業に受け入れの協力を依頼し、教員採用を含め200人以上が新戦力として加わった。
強ければ誰でも良かったわけではない。重視したのは人間性。主将などの立場にあり、チームをまとめられるという条件を付けた。競技引退後の人生の方が長く、職場でも戦力になってもらう必要があった。今も県内で会社員や教員として素晴らしい活躍をしている彼らは本県の財産だ。
(聞き手 鈴木健人)

かたひら・としお
伊達郡保原町出身。保原高、順天堂大学体育学部卒。1967(昭和42)年教員採用。長年にわたり陸上界の発展に尽力。95年の「ふくしま国体」では本県の天皇杯獲得(男女総合優勝)に裏方として貢献した。2015年みんゆう県民大賞受賞。
(福島民友2022年8月23日付)